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1997年。僕はまだ大学2年生で、よく授業をさぼっては1人でレコード屋めぐりをしたり、映画を見たり、図書館で本を読んだりしていた。誰かと話したり、関わるのがすごくめんどくさくて、どうでもよくて、一人で何かをしている時の方がずっと気分がよかった。
そんな中で最も僕が気に入っていたのは、一日中何もしないで、ただ家の中でずっと音楽を聴くことだった。そして音楽を聴いている間、ずいぶんといろいろなことを考えた。どんなことを考えていたのかは、もうすっかり忘れてしまったけれど、その残骸のようなもの、思考の痕跡みたいなものだけは、しっかりと記憶に刻まれている。 そんな風に誰とも関わらず、人と人との関係から遠ざかり、まるで幽霊のようにして生活していたことは、今でもまったく後悔していない。なぜなら、それは僕にとって十代の終わりを終わらせる作業として必要だったんだと、はっきりとわかっているから。 そして、そういう生活の中で、僕が誰かと共有したいと唯一感じたのが、サッカー日本代表が初めてワールドカップ出場を決めたことだった。Vゴールでイランを下すという、劇的な形でワールドカップ行きが決まった。もう現在では、Vゴール自体がなくなってしまったので、あんな風にたった一つのゴールで試合が終了し勝敗が決まることもなくなってしまった。確かに、サッカーという競技が時間で区切って試合終了を決めるのだから、どちらかがゴールを決めた時点で勝ち負けが決まるというルールは、サッカーにはなじまないかもしれない。結局その後、シルバーゴール方式もなくなってしまった。ただ、サッカーの歴史の中でほんの一瞬のことであれ、Vゴールというルールがあったこと、そして、その一瞬適用されたルールをもって、日本代表のワールドカップ初出場が決まったことは、その他どんなワールドカップ出場の仕方よりも、劇的で、ドラマチックなものだったに違いない。僕たちは本当に貴重な体験をしたのだと思う そして、ジョホールバルでの出来事がドラマチックだったのは、僕らにとってワールドカップに出ることが最大の目標であり、ゴールであり、クライマックスだったからだ。もう何十年も戦い、一度もでたことがなかったものに、今度こそ出場するぞという強い思い入れがあり、ドーハの絶望をみんなが共有しており、しかも、その上、日本代表はまったく安定感がなかった。勝てる試合を落とし、先制した試合をコントロールできず、ギリギリのところで持ちこたえていた。試合を重ねるたびに、ワールドカップ出場の可能性がなくなっていった。「もうワールドカップ出場は無理だ」とまったく思わなかったと言えば嘘になる。駄目かもしれない、と心の中では何度も思った。 そういう中で、日本代表は試合を続け、僕らはそれを見続けた。日本代表が試合に勝てない度に、すごく擦り切れた。試合が終わった後、勝てなかった理由を喋っている監督や選手の姿を見ながら、僕はため息をつき、寝転がって、天井を見上げた。それでも、見るのは止めなかった。どこかで誰かと酒を飲んで、帰ってきたら勝敗が決まっている。そんな風にやりすごせたら、どんなに気楽だったろうと思う。でも、そんな選択肢はなかった。見ないなんてありえない。情熱を傾けないなんてありえない。もし、負けるとわかっていても、勝つつもりで見ないことはなかった。そういういろんなことが積み重なった上で、あの、岡野のVゴールがある。日本はワールドカップ出場国としては最底辺だったけれど、あの瞬間は、間違いなく世界で最高のチームだった。 あれから12年。今回も、日本代表が南アフリカワールドカップ出場を決めた。僕の友人が言うように、確かに、あの頃ほどの情熱をもってワールドカップ予選を眺めることはなくなってしまった。それは、僕らが歳をとったというよりも、日本代表が強くなって、ワールドカップ予選を通過することなど、もうほぼ当たり前だと、どこかで思っているからだろう。 ただ僕は、今のこの、ある意味で、どこか冷めた目で冷静にワールドカップ予選を見つめていることを、むしろ積極的に評価したい。(例え出場国の中では、Cランクであっても)日本は、ワールドカップの常連国なのだ。確かにアジアでも苦戦しているが、今では、ワールドカップにおいて、世界の強豪国とどう対戦するかが定められた目標だ。ワールドカップに出場すること自体は、通過すべき第一のステップでしかない。つまり、もう、これからは二度とワールドカップ予選を12年前のような情熱を持ってみることはできないということだ。それは、ことの性質上変えられない。初出場というのは一度しかないし、そのあとは、多少の濃淡はあれ、前にも一度経験したことの繰り返しでしかないのだ。あの時の情熱と興奮と歓喜は、あの「初めてワールドカップに出場する」という条件の中でしか味わえなかった、まれな体験だったのだ。たぶん、次にあの時のような体験を味わえるのは、もうワールドカップで優勝する時ぐらいしかないだろうと思う。 僕らはドーハも、ジョホールバルも体験した。でも、たとえば、2002年から見始めた人たちには、ワールドカップ予選がどれだけ熱いものだったかはわからない。初めてワールドカップに出場するということが、どんなに興奮する出来事で、それが決まった瞬間、どれほどの歓喜があったのかは、彼らにはわからない。ザマみろと思う。ワールドカップ出場が当たり前になってから日本代表のサッカーを見始めるのと、その以前から見ているのでは、見方も、その意味合いも、まったく違ってくる。ジョホールバルの歓喜も知らないで、ワールドカップ予選の試合を見るなんて、本当にかわいそうだ。僕らにはドーハの絶望もジョホールバルの歓喜もある。つまり、歴史がある。情熱と興奮と歓喜の歴史がないくせにワールドカップ出場を喜ぶなんて、まるで記憶がないくせに、自分の成長を喜ぶことくらい、空虚で中身がない。 ただし、レースはまだ続いていく。僕らはもっと先へ進みたいし、進むべきだし、その為には、必要以上に過去を懐かしがることも、昔のことを過大に評価すべきでもない。 日本代表は、もうワールドカップに初めて出場したころのような、未熟な段階を乗り越えた。僕らのそれぞれが、十代の終わりを終わらせていったように。つまり、僕らは成長し、日本代表は成熟した。これから恐らく日本代表は長い低成長の時代に入る。僕らが十代の終わりや二十代の初めを過ごしたころ、Jリーグが始まり、ワールドカップ出場を決め、欧州で活躍する日本人プレーヤーが出てきた。そのたびに、僕らは興奮し、喜んだ。けれど、そういう日本代表の、日本サッカーの成長をひしひしと感じる時代は、いったん終わった。それは日本のサッカーが、過去よりも、もっと高いレベルへと突入していることの裏返しでもある。そして、例え、あの頃のような歓喜がなくなってしまったとしても、もう以前のようなレベルでは満足できない。それは、一度セックスを知った後に、もう一度キスしかしていなかった頃に戻るのが難しいのと同じようなものなのかもしれない。 僕は過去を振り返るのが好きじゃない。それをただ懐かしがるのが好きではない。けれど、なぜか、今でも、時々、日本代表の試合を見るとあのジョホールバルの情熱のなごりのようなものが僕をうずかせることがある。すぐそこにあの情熱と歓喜がよみがえってくる。僕らのだれもが、十代の頃に感じていた、あの独特の雰囲気をごくまれに思い出すように。 浦和レッズが初めてリーグ優勝した。1993年にJリーグが開幕してから14年。あの時、15歳だった僕は29歳になってしまった。まさかここまでかかるとは思ってなかったけど、とにかく、優勝できてよかった。選手には感謝してるし、金かけてタレントをそろえたフロントもよくやったと思う。ただ、僕は14年間浦和レッズのサポーターを辞めなかった自分によくやったと言いたい気持ちはない。
かつて弱かったチームを応援している人間が、そのチームが優勝したときによく「サポーター辞めなくてよかった」と言っているのを聞くと、僕は首をかしげたくなる。話を僕に限れば、そんな選択なんてありえないからだ。言い換えれば、僕は「選択」して浦和レッズを好きになったわけではないということだろう。ある日気づいたら、僕は浦和レッズというチームとサポーターが、気になっていた。その気持ちが「好き」という気持ちなんだとはっきりわかったのは、Jリーグが開幕してから何ヶ月か経過してからのことだったけど。 この14年間、J2に落ちたときもあったし、あと一歩でリーグ優勝できない時もあった。最下位を続けて、なにをやっても何一つ改善されない時期もあった。そういう経緯がある上での優勝は、格別である。この歓喜は、中立的で客観的な位置では絶対に味わえないすばらしさだと思う。とにかく、ざまみろと言いたくなってくる。腹の底から高笑いがでてくる。ほんと、ざまーねーよ。 立場表明をすること。 手を突っ込むこと。 人は自分が何かを「好きだ」と言葉にした途端、ある一定の立場を選択したことになる。あるチームが好きだと発した瞬間に冷静でいられなくなる。そのチームが負ければ悔しいし、つまらない試合をすればむかつきもする。だから、何かを好きになるということは、傷つくことと同じであり、負荷のある時空を生きていくことを意味する。しかし、そこには中立的で客観的な、不格好な傍観者では絶対にたどり着けない高揚感が確保されてもいる。そして、もしも運が良ければ、立場選択をした者は、生きている間に何度かそうした高揚感を味わうことができる。今回の僕がそうだったように。 客観的分析と事実をどれだけ積み重ねてみても、その場所へはたどり着けない。「サッカーを好きであること」と「サッカーチームが好きであること」は同じではない。微妙で微細な差異だが、そこには目に見えない断絶があり、その断絶の距離は、不合理で説明のできない跳躍によってしか埋められえない。たぶん、それを可能にするのは、世間で「覚悟」だとか「勇気」だとかそういう言葉で呼ばれているものによってだろう。まぁ、呼び方はどうであれ、そこにはまぎれもなく自分が懸けられている。つまり、あるチームが好きだと表明するとには、自分が懸けられているのだ。だから、僕は立場を選択しない人間の議論は相手にしないことにしている。そんなゴミは相手をする価値がない。僕らは強者であり、デュオニソスであり、不合理な跳躍を尻込みする弱者は、ゴミとして扱えばよい。立場選択のない批判、自分が傷つかない位置からなされる批判は、その批判がなされたことそれ自身によって自らの脆弱さを証明する。だから、それは自身で自身をさげすむような、無能の劣化循環であり、放置するに限る。ゴミはゴミとして扱うのが正しい。ゴミに自らをゴミでないと錯覚させるような対応はしなくてよい。無視して、自分のゴミぶりを感じさせるのが理にかなっている。けど、ゴミだから気づかないだろうなぁ。 当然、14年、浦和レッズのサポーターをしてきた僕にはそれを言う資格がある。もちろん浦和が優勝したから言えることでもある。浦和レッズよ、よくやった。これを言う資格を与えてくれて、ありがとう。 立場を表明すること。 手を突っ込むこと。 何かを好きだと公言することは、傷つき、自分を消耗させることと同じである。しかし、そうしてしか味わえない素晴らしい瞬間がある。客観的で中立な立場では絶対にたどりつけない歓喜がある。そして人生は、そういうことのために使わなくてはいけない。 自分の大切な人間を誰かに殺された場合、僕は、その殺人者を殺してやろうと思うだろう。この場合、僕の復讐行為は、僕にとっては圧倒的に正義である。
しかしよく考えてみると、僕がそこで「正義」と名付けているものは、自分の怒りや激情を相手に対してぶつけてもよい、と自分に納得させ正当化するための言葉でもある。つまり、正義とは、たかだかその程度のものである。正義なんて、本気で信じてはいけない。それは怒りを発散させ、普段ならやってはいけない行動を「やってよい」と自分に対して正当化するための言葉であることを理解しておかなければならない。 正義に酔いしれることは心地よい。それは快楽だ。それは世界に見通しを与え、判断基準を明確にする。行為はある視点からすっきりと捉え直される。(=どんなことだろうと正義のためになされうる!) 「正義」というのは劇薬だ。うまく使わなければ、やらなくてよいことまでやってしまう。 言葉で、正義で、理論的正しさで、善と悪で、罪と罰で、やれることとやれないことがある。やっていいこととやってはいけないことがある。けれど、人間はたぶん、どこまでいってもその限界を見分けられるだけの知性を持ち続けられるようにはならないだろう。だから、結局は、僕らに出来ることというのは、自分たちの行っている選択が最小の損失を被るものでありますように、と願うことだけなのかもしれない。 ある人がある人を殺したとする。これは悪いことだ。多くの場合、それが「良いことなのか悪いことなのかわからない」ということは起こらない。だから、ここでの「責任」というのは、その人間が牢屋に入るなり、処刑されるなりして、その罪が償われることになる。
しかし、「戦争責任」に、これほどの明確さは保証されない。 まず「勝った側が負けた側を裁く」ということ自体に異論がある人もいる。 これは言い換えるならば、「法を適用し、ある行為の合法/違法を確定する」という場合、誰がその判断を行うのかというところの正統性に揺らぎがあるということだ。 なぜその正統性に疑いの眼差しが向けられるのか。 東京裁判を例にとるならば、それは、そこにおける「裁判」のあり方(=勝った方が法を判断し、犯罪と罰則を決定し、行為に関する善悪をつけるやり方)が、一般的な「裁判」のルールと大きくかけ離れているからだろう。 一般の裁判で、ある行為に関する合法/違法を決定する場合、それを「判断する側」に当事者は含まれてはならない。例えば、傷害事件において「傷つけた側」が裁判官として裁判に関わり、判決を下すなんてありえない。しかし東京裁判の場合、判決を下す側に当事者(勝った側)が関わり、事実認定から罪と罰の決定に関してまで大きな影響力を与えることとなる。 こうして「裁判自体」の効力に疑問がある人がいて、それが、まず法的な「戦争責任」というものを不確かなものとしている。つまり、一般的な裁判のやり方とは違うが故に、裁判としての有効性を認められないので東京裁判での諸々の判決、あるいは裁判自体が有効ではない、ということだ。 また、もしも勝ち負けが逆転していれば、日本は勝者であり戦争責任は問われていない。勝ち負けが逆転したくらいで、個々の行為それ自体の合法/違法が揺らぐようでは「法」としての有効性は限りなく薄い。勝っても駄目なものは駄目だし、負けても駄目なものは駄目なら納得できるが、負けた場合だけが責任を問われるというのは、やはり「法律/裁判」としては受け入れがたい面がある。 さらに勝ち負けが逆転していなかったとしても、中国侵略を日本が止めてさえいれば、日本は、恐らく太平洋戦争に突入しなくて済んだわけで、であれば、やはり韓国併合や満州事変を行った日本の罪は問われることはなかっただろう。太平洋戦争に突入し負けたから、それらの罪が問われたのである。(第一、日本が韓国併合をするプロセスにおいては、アメリカもイギリスもロシアも日本が韓国を保護国にすることを協定ではっきりと認めてさえいる。)しかも、東京裁判は、罪刑法定主義にも反している。 こうしたことから考えると、一般の裁判と比較した場合、東京裁判は明らかに裁判として最低限クリアしておかなければならないハードルが越えられないまま進められてしまったのだ。それは、事実として決して消えることはない。 ただ、しかしである。 日本は少なくとも東京裁判を受け入れて、その後の経済/社会発展が可能となったことも事実なのだ。だから、結局、21世紀において日本がやらなければならないことは、東京裁判を受け入れるか/受け入れないかというレベルの判断ではなく、東京裁判とは関係のないところで、自分たちで、あの戦争を総括し、評価すること以外にはない。法的にではなく、道徳的に評価をおこなうことである。そして、その場合、これからの日本にどのような責任があり、どのような保証や政策を行っていくことが、その「道徳」にかなうことなのか。それをはっきりと確定しておかなければならない。 道徳的に判断を下すと言うことは、事実認定から一歩踏み込んで、当時の、それから戦後の日本の15年戦争に関わる様々な対応に関して、「善悪」の判断を行うということであり、当然、そこには異論が存在する。けれど、異論が存在するからと言って、避けて通れるわけではない。そしてそれは政治の責任である。異論や留保が存在するまま、それでも社会として一定の判断を下すことこそが政治なのだから。暫定的であってよいし、反論があってよい。どのみち、僕らは暫定的な、とりあえずの決定を繰り返して、積み重ねて、どうにかこうにか進むしかないのだから。
■世界の、いくつかの紛争に関する覚書
世界には多くの誤解がある。 そして、誤解から始まる対立というものがある。 本質的な対立ではなく、単なる誤解によって生じてしまった対立。 しかし、本質的ではないからといって、誤解から始まったからと言って、それが怒りを生み出さないわけではない。大きな悲劇を生み出さないわけではない。 人はみんな制限のある場所に生きていて、何もかも見渡せるわけではなく、たとえ対立が誤解から始まったものだと知り得たとしても、その時には、もう引き返せないところまで来ているかもしれない。時間のロスは、ものごとを変質させるのに十分な力を持っている。対立が誤解であったと知り得るまでに、膨大な時間を費やし、自尊心を疲弊させ、あるいは場合によっては、身近な人間が犠牲になってしまったとすれば、そうなった以上、始まり方は、もはや問題ではなくなっている。既に犠牲が出てしまったことは事実なのだし、その事実そのものは永遠に変えることは出来ない。感情が傷つけられてしまうほどの犠牲が出た瞬間から、対立がはじまった当初とは別のものへと事態は変質してしまったと言えるだろう。
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